【思い出】夏になるとあの日からいなくなった祖父を思い出す。
![](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_04-1024x769.jpg)
こんばんは。
最近、少しずつ涼しくなってきましたね。
もうお盆も過ぎてしまいましたが、
夏になると亡くなったじいちゃんを思い出します。
たまにはしんみり。
暮らしなどで使える実用的な話じゃないけれど、
昔の話をしてみることにしました。
![最後の年忌法要](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_14-1024x769.jpg)
じいちゃんとの思い出
父方の祖父母が実家の近くに住んでいたので、
何かあるとじいちゃんばあちゃんの家に、
潜り込んでいたわたし笑。
親に怒られた時やエアコンがない実家が嫌で
涼みにいったり、孫のために買ってくれてたお菓子を
食べに行ったりしていました。
私のじいちゃんはちょっと面白いおじいちゃんでした。
山仕事がひと段落すると、透明な水をのんでいたんですが、
よくそれを、「水だぞ。飲むか?」と私たち孫に言うんですが、
実は、その透明の水というのが日本酒だったりとか笑。
学校で表彰状が貰えると、ばあちゃんは1000円をくれるんですが
じいちゃんがくれるのは50円だったりとか笑。
お盆、お正月と親戚一同で花札をするのが恒例だったんですが、
じいちゃんが後ろについてくれると、必ず勝てるんです。
そう、じいちゃんは【賭け事】がとても強かったんです笑。
(今でいうゲームが強いやつはモテる!!的な感覚でしょうか)
![実家の酒屋さん](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_11-1024x769.jpg)
他にも五目並べ、将棋、オセロなど色々やりましたが、
お父さんよりもじいちゃんのが格段に勝負事に強い。
そんな勝負師のじいちゃんの親世代は
山を賭けたりしていた。という話も聞きました笑。
私たち兄弟の中で、
【じいちゃんは強い!!(賭け事のプロ)】
という憧れの存在でもありました。
![叔父さんに遊んでもらう息子](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_07-1024x769.jpg)
当時はよくそのへんの事情は知らなかったんですが、
よく付き合いで飲み歩いていたそうで、
ばあちゃん曰く、
夜はあまり家にいなかったそう。
(悪い男だ〜)
でも、私たち兄弟はじいちゃんの
楽しかった思い出が色濃く
今でも鮮明に焼きついています。
夏になると夜にトラックで近くのトンネルまで
連れて行ってくれて、カブトムシをよく
一緒にとりに行っていました。
その時、ものすごく大きなクワガタを見つけたんですが、
じいちゃんが掴んだ時に指を挟まれたらしく、
とっさに投げて、踏み潰してしまったあの瞬間は
苦い思い出です。
![畳の部屋で遊ぶ甥っ子](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_12-1024x769.jpg)
父は、結婚してしばらく農協に勤めていたんですが、
家業を継ぐため退職。
それから私たちも生まれて、数年がたった頃、
「もう、いつ死んでも良いな〜」と
じいちゃんがよく言っていました。
幼いながらに、その言葉がなぜか鮮明に覚えていて、
じいちゃんのやり切った感が伝わってきました笑。
そして晩年、宝くじで大当たり!!
お年玉をじいちゃから二回貰った記憶があります笑。
(子供にしたらけっこうな大金!!)
ここで運を使い切ったのか!?
その翌年に、じいちゃは突然わたしたちの前から
いなくなってしまいました。
親戚一同みんな帰省していた夏、
従姉妹たちで花札をしていました。
ある日突然
その時、じいちゃんはお酒をいつものように
飲んでいたのですが、急に「泳ぎに行こう〜」
と言い出したんです。
【じいちゃが泳ぐ??】
山には行きますが、じいちゃが海に行く記憶はなかったので
とても不思議な感覚だったのを今でも覚えています。
お酒も飲んでいたので、みんな「海に行くのはよくない」
とじいちゃんに言っていたのを覚えています。
そして、トラックで運転して海に行ったじいちゃんは
海に潜ったまま、帰らぬ人となってしまいました。
(この時飲酒運転はまだ合法だったと思います)
![実家でご飯を食べる息子](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_13-1024x769.jpg)
海に潜ってから、
うちのじいちゃんがあがってこないことを
友達が呼びに来てくれて、
慌てて家に電話したのを覚えています。
父が水着に着替えて海に向かった記憶。
ばあちゃんが現場で「馬鹿だ馬鹿だ」
と言いながら、泣いていたこと。
たくさんの人が潜ってじいちゃんを探してくれたこと。
田舎には珍しい救急車が来たこと。
お父さんが海の底に沈んでいるじいちゃんを
見つけたこと。
幼い時の記憶は鮮明で今でも、
この時期になると思い出します。
じいちゃんが診療所に運ばれて、
待っている間にたくさんの涙がこぼれ落ちて、
お葬式の時には涙も枯れ果ててしましました。
お別れ
実家で開かれたお通夜は、
ジュースおつまみ飲み放題で、
親戚もみんな帰っていたので、
とても賑やかで、
そしてとても楽しい時間になりました。
![坂を下る家族](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_10-769x1024.jpg)
じいちゃんも若くして亡くなったので、
仲の良かった友人や訃報を聞きつけてきた町の人、
親戚一同、葬式には沢山の人が来てくれたそうです。
そして、わたしが初めてみた人の火葬でした。
綺麗な人の形をしてじいちゃんが
骨になってしまったのがとてもショックで
また、それを拾わなければならない
酷な作業が幼ないながらに辛かったです。
もう爺ちゃんのどこの骨を拾ったのかさえ
覚えていませんが、
自分にとって、
骨を拾う初めての人が爺ちゃんで
良かった。
![地元の夕焼け](https://www.achanblog.jp/wp-content/uploads/2020/09/grandfater_memories_02-1024x769.jpg)
実家に帰るとお墓参りもするので、
その度に亡くなった親族のことを思い出しますが、
海に行くと必ずじいちゃんを思い出します。
海はどこでも繋がっているから。
特に、偉業を成し遂げたり、ノーベル賞を貰った
すごいじいちゃんではないけど、
わたしたち兄弟にとって、
じいちゃんの存在は本当に大きくて、
じいちゃんが亡くなって30年以上たった今でも
私の心ではじいちゃんが元気に生きています。
最後に
じいちゃん、ばあちゃんはこの前、誕生日が来て91歳だよ〜。
女性って強いよね〜笑。
使用カメラ:ソニー ミラーレス一眼 α6400 ダブルズームレンズキット SELP1650 F3.5-5.6+SEL55210 F4.5-6.3 SEL55210 ブラック ILCE-6400Y B
関連記事はありません